テキサスインスツルメンツ60 GHz帯ミリ波レーダ評価キットの実験

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はじめに

近年の自家用車には、ミリ波レーダが安全運転オプションとして用意されていることが多くなりました。日本では、そのようなレーダとして76 GHz帯のものが用いられています。

レーダにおいて、より小さな物体を見分けられる指標である距離分解能は、その周波数帯域幅により決定されます。日本で用いられる、帯域幅500 MHzのレーダの距離分解能は30 cmです。利用できる帯域幅が広いほど、距離分解能は高く(小さな値に)なり、ひいてはより小さな物体が識別できます。

2019年6月に、テキサスインスツルメンツから周波数60 GHz帯で帯域幅4 GHzのミリ波レーダ評価キット(EVK: evaluation kit)が発表されましたので、試してみました。距離分解能は4 cm未満であり、人体の検出も容易になるとみられます。日本においても60 GHz帯広帯域レーダの利用が検討されています。Googleの新しいスマートフォンPixel 4には、Soliと名付けられた60 GHz帯広帯域レーダが搭載されているそうです。

実験は電波暗室内で行い、外部への電波放射がないように気をつけました。

IWR6832ISK + MMWAVEICBOOST

今回、利用した評価キットは、アンテナプラグインモジュールIWR6832ISK、キャリヤカードプラットフォームMMWAVEICBOOST、および電源供給カードMMWAVEPOEEVMです。MMWAVEはミリ波(milli-meter wave)、ICは集積回路(integrated circuit)、BOOSTは英語で「発展させる」の意、POEはイーサネットでの電源供給(power over ethernet)、EVMは評価モジュール(evaluation module)を示すようです。アンテナプラグインモジュールは周波数帯やアンテナタイプの異なるものが用意されています。最小構成は商品ページに書かれているように、IWR6832ISKとMMWAVEICBOOSTとの組み合わせです。

驚くべきことはその価格です。上述の3基板を購入しても合計449USドルでした。FEDEX送料の6.99USドルを合わせても、日本円で約5万1千円です。とても安価です。

この記事を書いた4月中旬から、1ヶ月半経った5月末に、運送会社のFedExから、輸入消費税とその立替手数料をあわせた5,500円の請求書が届きました。今更感はしましたが、それでも安価です(2020年5月30日追記)。

一方、そのUser’s Guideなどの資料には必要最小限のことしか書かれていません。また、他の公式資料をみても、この製品発売後の更新に追いつておらず、「素人さんお断り」の感じが強いです。私は素人じゃないもん、と思いながら実験を行いましたが、やはり実験には苦労しました。

開梱から電源供給まで

プラットフォームMMWAVEICBOOSTの表面と裏面の写真を示します。このボードがレーダ信号処理を受け持ちます。
Front view of TI MMWAVEICBOOST
Back view of TI MMWAVEICBOOST
表面中央上部には生データ記録ボードDCA1000の高密度コネクタがあります。表面左側の2つの高密度コネクタにアンテナプラグインモジュールを接続します。左下のDCジャックが電源コネクタでして、電圧は5ボルトです。アンテナプラグインモジュール接続状態で、実験用電源からこの電源コネクタに電源供給したところ、電流は370ミリアンペア程度でした。パソコンとの接続は、裏面の中央やや左にある「XDS110 USBコネクタ」を通して行います。表面のDIPスイッチの切り替えにより、このUSBコネクタを利用した電源供給もできるようです。

Front view of TI IWR6832ISK
Back view of TI IWR6832ISK
次にアンテナプラグインモジュールIWR6832ISKの表面と裏面の写真を示します。表面の上部には、美しい60 GHz帯マイクロストリップアンテナがあります。

左側の4ブランチアンテナが受信アンテナで、右側の3ブランチアンテナが送信アンテナです。送受信共に複数アンテナを用いて物体を検知するレーダはMIMO(multiple-input multiple-output)レーダと呼ばれ、新しい信号処理技術を用いています。

マイクロストリップアンテナの比帯域(中心周波数に対する帯域幅)は数パーセントしかないために広帯域レーダへの利用には不利である一方、これは広い角度に均一に電波を放射できる特長があります。このモジュールの各アンテナブランチは、3つのマイクロストリップアンテナからなります。マイクロストリップアンテナ中央素子と上下2素子とでは、形状が異なります。また、このレーダの比帯域は6パーセントを超えることから、中央素子がメインアンテナの役割を果たし、上下素子は垂直方向ビーム幅を狭めるアレイアンテナの役割と周波数帯域幅を広げるスタガ同調の役割を兼ねていると想像しています。受信アンテナブランチは水平方向に半波長間隔で配置する一方、送信アンテナブランチは水平方向に1波長間隔で配置して、さらに中央アンテナを垂直方向にオフセットしています。素子の給電部には、マイクロストリップラインでのインピーダンス変換トランスが構成され、その手前にスタブがついています。アンテナブランチの分離のために、細いアース線を利用しています。受信アンテナブランチ部分のアースのコブにも、きっと理由があるのでしょう。配線長を揃えるための配線曲り(メヤンダ)の形も美しいです。とても美しい設計だと思います。

アンテナ左側には高温危険のマークがありますが、動作中も手で触れることができる程度の温度でした。基板裏面には、MMWAVEICBOOST基板と接続するための高密度コネクタが2つあります。

Connection of IWR6832ISK and MMWAVEICBOOST
このIWR6832ISKとMMWAVEICBOOSTとを接続します。説明書では2つのワッシャを使って高さをあわせることになっていますが、キットに同梱されていたのはスペーサでした。このスペーサを使って固定したところ、うまく両者を接続できました。

Connection warning of IWR6832ISK and MMWAVEICBOOST
なお、ナットの一つがMMWAVEICBOOST基板の部品と接触しますので、このナットを注意深く取り付けなければなりません。このレーダは大変素晴らしい製品ですので、この程度の誤りは全然気になりません。

Front view of TI IWR6832ISK
Back view of TI IWR6832ISK
次は、POE基板MMWAVEPOEEVMです。表面にはMSP432E4というICが見えます。このICは、POEだけでなく、USBエミュレーションもできます。この3基板を組み合わせると、電源供給からセンシングまでイーサネットで可能になり、複数台のレーダをネットワーク経由で一台のパソコンから管理できそうです。
Combination of IWR6832ISK, MMWAVEICBOOST and MMWAVEPOEEVM
電源供給先とXDS110 USBの接続先をMMWAVEPOEEVM基板に変更するために、MMWAVEICBOOST基板上のDIPスイッチを変更する必要があります。このMMWAVEPOEEVMは、ファームウェアを更新すればウェブサーバにもなるようです

試行錯誤の結果、とりあえずはMMWAVEPOEEVMの利用を諦めることにしました。MMWAVEPOEEVM基板をMMWAVEICBOOST基板から外して、DIPスッチ設定をスタンドアローンに戻しました。

ミリ波レーダの実験

TI millimeter-wave radar
MMWAVEICBOOSTのUser’s Guideに従い、パソコンに評価ソフトウェアMMWAVE-SDKをインストールして、MMWAVEICBOOST基板上のXDS110 USB端子とパソコンを接続します。

MMWAVEICBOOSTのUser’s Guideでは、XSD110 USBとFTDI USBとの両方をパソコンに接続するように書かれているのですが、MMWAVE-SDKのUser’s Guideの説明からは、FTDI USB端子をパソコンに接続する意義がわかりませんでした。そこで、FTDI USBをつないだ状態とつながなかった状態の両方を試しましたが、変化はありませんでした。

MMWAVE-SDKのインストールが完了したら、XDS110の2つのCOMポート番号をメモします。パソコン上のWindows 10では、下部の検索窓から「devmgmt.msc」と入力してデバイスマネージャを起動して、「ポート(COMとLPT)」から「XDS110 Class Application/User UART」のCOM番号と、「XDS110 Class Auxiliary Data port」のCOM番号をメモします。XDS110 USBをパソコンに接続すると、この2ポートが現れます。常にApplication/User UARTの番号の方がAuxiliary UARTのそれよりも小さいとは限りませんので、注意が必要です。

次に、インターネットブラウザChromeを用いてmmWave Demo Visualizerにアクセスします。これはChrome限定のウェブアプリケーションです。スタンドアロンアプリケーションもあります。このウェブアプリケーションのHelpのDownload or Clone Visualizerから、Linux 64 bit、Mac、Windowsのアプリケーションのダウンロードページに行くことができます。使いやすさは、ウェブアプリケーションでもスタンドアロンアプリケーションでも、同一でした。

TI mmWave Demo Visualizer

そして、このアプリケーションの「Options」「Serial Ports」の順にポイントして、CFG_PORTに先のApplication/UserのCOMポートを、DATA_PORTに先のAuxialiaryのCOMポートを選びます。Baud RatesはデフォルトにしてOKボタンを押します。

次に、Configureタブの「Setup Details」のPlatformに「xWR68xx」、Antenna Configに「4Rx 3Tx」を選びます。信号処理のパラメータを変更することができますが、まずはデフォルトのものを用います。次に「SEND CONFIG TO MMWAVE DEVICE」を押します。左側のConsole Messagesに多くの文字が表示されたら成功です。Plotsタブに移ります。

Execution of TI milli-meter wave radar

そこには、X-Y Scatter Plotと、Range Profile for zero Dopplerなどが表示されています。私たちの電波暗室の性能はあまり良くないようでして、この例では6個のターゲットが表示されています。X-Y Scatter Plot…、そうです、MIMO Radarなので、物体が左右のどちらかにあるのかが識別できるのです。レーダ方式は、4 GHz帯域幅全域を走査するFM-CW(frequency modulation, continuous wave)であると推測しています。結果は、ほぼリアルタイムに更新されます。すごいです。

Target speed detection with TI milli-meter wave radar

アンテナを動かすと、相対的に目標物が移動して、ドップラ効果により受信反射信号に周波数変化が生じます。その周波数変化からそれぞれの物体の相対速度が検出できます。さらに、目標検出性能と雑音誤動作とのトレードオフを決定するCFAR(constant false alarm rate、シーファーと読みます)パラメータを調整できるなど、奥の深いレーダです。信号処理アルゴリズムがブラックボックスになっているのが残念ですが、それはきっと私の理解を大幅に超えているものだと思います。

Three dimensional target detection with TI milli-meter wave radar

オフセットMIMO送信アンテナにより、3次元目標表示も可能です。

もし、コロナウィルス感染拡大が収まって、無線実験試験局免許が取得できるならば、是非ともこのレーダを使って屋外実験をしてみたいです。