電子情報通信学会コミュニケーションシステム研究会(長崎県対馬市)
ただいま対馬
電子情報通信学会コミュニケーションシステム研究会(通称CS研)の7月の研究会は、通称離島シリーズとして、本州以外の場所で開催されます。2024年のCS研離島シリーズは、7月11日と12日に、長崎県の対馬(つしま)開催でした。
対馬は、歴史的に日本と韓国との国境の街として貿易や文化交流の、また、国防としても重要な役割を担ってきました。また、GPS登場以前に、GPSと同様に電波受信のみで船舶や航空機の位置情報を提供するオメガシステムの一翼を担ってきました。現在、対馬は、対馬ヤマネコをはじめとする動植物の宝庫、また、ドローン技術や映像技術の発信地になっています。対馬は電波航法やITの聖地であるともいえます。
大変ありがたいことに、この対馬の最大の都市である厳原(いずはら)にて学会発表する機会に恵まれました。
今回、九州の博多からバスで15分程度のところにある博多港から船にて厳原港に向かいました。博多と対馬を結ぶ航路には、最大時速80キロメートルで航行するジェットフォイルと、自動車も運搬可能なフェリーとがあります。
ジェットフォイルは乗船1ヶ月前から予約可能です。私は、あらかじめ乗船予約しました。博多港では、出港1時間前に搭乗手続きが始まり、出港30分前に終了します。搭乗手続きには、現地にある乗船名簿用紙にカタカナで氏名を、また、予約していたら予約番号も記入して、受付に提出します。ジェットフォイルは全席指定席で、あらかじめ予約していれば席を選ぶことができます。乗船券は左右に分かれますが、右側は乗船時に、左側は下船時に、それぞれ提出します。
これは、乗船したジェットフォイル「ビーナス」です。搭乗開始は出港10分前です。
途中、壱岐に停泊し、厳原港に向かいました。残念なことに厳原港は雨模様でした。
厳原港から徒歩10分程度で厳原の中心街に着きます。これは、厳原の街並みと、今回のCS研開催場所である対馬交流センターです。
コミュニケーションシステム研究会
この対馬交流センターは、ショッピングセンター「ティアラ」やマックスバリューと併設されていて、ステージ、大小の会議室を備えています。大会議室でCS研の特別招待講演や一般講演があり、小会議室を連結した部屋で学生向けのポスターセッションがありました。
大会議室にはステージがあり、会場は快適でした。
また、ポスターセッション会場も綺麗でした。まだ、ポスターセッション開始前で人が少ないのですが、ポスターセッション中は多くの人で賑わっていました。
私も学会2日目に研究発表をしました。発表タイトルは「GNSS高精度測位における補強メッセージ内容の時間変化」で、高精度衛星測位に関するものです。
学会1日目の夜には懇親会がありました。対馬の名物料理をたくさん出していただき、美味しいものをお腹いっぱい食べてきました。
これは名物料理の石焼です。魚や野菜に中央の透明なタレをつけ、コンロで熱した石の上で焼きます。
この石焼の他にも、刺身、豚のロース肉を醤油や味噌に漬け込んだとんちゃん、さつまいもから作った粉をうどん状にしてつゆに入れたろくべえなど、対馬の料理を楽しんできました。今回のCS研の参加者は43名(1日のみの参加者を含む)で、懇親会参加者も37名と聞いています。大盛況でした。
厳原散策
私は、厳原の街の中心の高台にある宿坊(お寺)に泊まりました。朝の座禅にも参加させていただき、自らに向き合う貴重な体験をしました。
学会前日や最終日の夕方などに時間ができましたので、厳原の街を散策しました。対馬交流センターに向かいには、観光情報館ふれあい処つしま(観光案内所)があります。
この中の観光の間には、多くの展示物で対馬の歴史や文化がわかりやすく説明されています。厳原散策の前に、是非、ここで予習しましょう。知らないと通り過ぎてしまう神社も愛おしく思えるはずです。入場無料です。
対馬交流センターのすぐそばに、対馬博物館があります。綺麗な建物で、対馬で発掘された古代の土器などが美しく展示されています。また、韓国との交流を表す古文書などが展示されています。
対馬博物館のそばには対馬朝鮮通信使歴史館があり、朝鮮通信使と対馬との関わりが映像と資料で説明されています。
対馬交流センターから10分程度歩いたところに、半井桃水(なからいとうすい)館があります。英語と朝鮮語を話し、新聞記者、新聞小説家として活躍した厳原出身の半井桃水の資料が展示されています。半井桃水は、明治時代の著名な作家、樋口一葉の恩師でもあります。入館無料です。
また、対馬交流センターから別の方向に30分程度歩いたところに、対馬藩お船江跡があります。江戸時代に藩船を格納するために構築した船着場の跡だそうです。
対馬オメガ局跡
世界中でGPSが24時間利用できるようになる前、船舶では自らの位置を推定するために、ロラン(Loran, long range navigation system)、デッカ(Decca)、また、オメガと呼ばれる電波航法システムが利用されてきました。これらは、陸上の大電力放送局と、その電波を受信し世界中を移動する移動局からなります。この移動局は、これらの放送局からの電波到来方向ではなく、複数の放送局からの電波到達時間差から自らの位置を推定する双曲線航法と呼ばれる方法で位置を推定していました。GPSの普及により、これらのシステムは廃止されました。
かつて、対馬には、ロラン(局番号ELMO 18)、デッカ(局番号Kita-Kyushu 7C Red)、オメガ(局番号H)のこれらすべての放送局がありました。特に、オメガシステムは、たった8局で世界をカバーすることから、究極の電波航法システムを表すギリシャ文字最後の文字オメガの名を冠していました。移動局にて、双曲線航法を行うためには、少なくとも3局からの電波を受信しなければならないので、対馬オメガ局の電波は少なくとも世界の1/3に到達していたことでしょう。オメガシステムは、私が大学生だった35年前には稼働していて、大学授業でも取り上げられていました。世界の海の安全の一翼を担ってきた対馬オメガ局を、是非とも訪問したいと思っていました。
対馬オメガ局の跡地は、対馬北部の比田勝(ひだかつ)周辺にあります。公共交通機関にて対馬南部の厳原から対馬オメガ局まで行くには、対馬交通バスの縦貫線にて比田勝までの87.4キロメートルの道のりをゆき、比田勝からタクシーを利用することになります。厳原からの比田勝行きバスは、1日に5本しかありません。対馬オメガ局跡を訪れるには、公共交通機関利用は現実的でなく、地元の方にお世話になるか、自らでレンタカーにより移動する(厳原から片道2時間程度)のかのいずれかになります。そのため、以下は私のオメガ局を訪問したいという強い思いによる妄想です。
対馬オメガ局の跡地は、オメガ公園として整備されています。かつて450メートル程度あった鉄塔は解体され、モニュメントとしてその一部が残されています。
横たわって置かれた鉄塔内部には、梯子と、その安全柵がありました。
また、高電圧と大電流を絶縁して保持するためのガイシ(碍子、陶器でできた絶縁体)もあります。
雨風や潮にも耐えるよう、鉄塔はコーティングされています。
そして、オメガ局の底部を支える6本のガイシもありました。当時、このガイシは6角形状に並べられ、これらのガイシ上に置かれた円盤の上に鉄塔が建てられていたそうです。
メイン送信周波数が10キロヘルツである一方、これだけ巨大なアンテナであっても共振周波数は40キロヘルツ程度なので、本来はこの4倍もの長いアンテナが必要でした。そこで、効率よく電波放射するための巨大な整合器が局舎内にあったそうです。世界に8箇所にあったオメガ局は、それぞれセシウム原子時計で互いの時刻同期をとり、サブ送信周波数2波と組み合わせて、10秒周期のそれぞれ異なるタイムコード伝達と距離あいまいさ解決をしていたそうです。タイミングが合えば10秒間の電波受信のみで位置推定に必要なデータが揃うので、船だけでなく、飛行機でも利用できました。1970年台に、電波伝搬、時刻同期、無線機器、そして建築の課題を解決し、巨大実用システムを稼働させたエンジニアの熱意に驚くばかりです。私の妄想の中のことであるとはいえ、本物の対馬オメガ局跡を見ることができて、感動しました。
まとめ
学会発表として対馬を訪問でき、CS研幹事様に大変お世話になりました。歴史、外交、文化、食、そして、電波航法の対馬を訪れることができて、とても嬉しかったです。